10年目
今から9年前の12月5日、私は師匠のもとで籠作りを習い始めました。(実際に弟子入りしたのはその数週間前で、簡単な「はぜ」の編み方などは習っていましたが、本格的な竹細工を始めたのがその日です。) 今日からようやく、私が竹細工を始めて10年目に入ります。 弟子入りしてしばらくは、日記をつけていました。 今になってそれを読み返すと、とにかく師匠のすごさに感動していたり、あるいは自分の腕の無さに落ち込んでいたりと、当時の気持ちが蘇ってきます。 また、慣れない手で一日中ずっと包丁を握っていたので、最初は指が固まって腱鞘炎のようになり、「今日も指の関節が痛い・・」と、泣き言のようなコメントで毎日が終わっていました。
はじめてしばらくは、「しょけ(ザル)」をひたすら編んでいました。 むろん、すぐには竹を割ってヒゴを取ることなどできないので、ヒゴ自体は師匠が取ってくれて、そして私はそれを使って編み、まずはとにかく、竹の感覚を手に覚えさせていきました。
下写真は、そんな私が弟子入りして間もない頃に編んだ、「しょけ(ザル)」です。 と言っても、師匠が取ってくれた長いヒゴでただ途中を編んだだけで、しかも丸く編むはずの形が、このように楕円形になってしまいました。(骨ヒゴを内側に入れるタイミングや、手の押さえ加減などで形が変わってくるのです。) 私は、シンプルな丸いザルが、竹細工の中で一番奥が深くて難しいと感じています。 そんなゆがんだ「しょけ」を見た師匠は、「これは売り物にならんなぁ」と、仕上げの縁巻きをしてくれた後、「持って行って良かよ」と、私にぽんと差し出してくれました。 現在は深い飴色になり、私の仕事場で道具入れとして活躍しています。
弟子入り中、私は休みの日に、よく山間部の温泉湯治場に行きました。 体を休めるため・・というのは口実で、そこにいらっしゃる他の水俣最長老のカゴ職人の方を訪ねるためです。 彼のカゴもまた見事で、私は彼に対して、「いくら頭で理解していても、自分の手が編む『しょけ』はどうしてもこんな良いものにならない・・・」と、よく愚痴をこぼしました。 すると彼は、「そりゃあ始めて間もない人が、いきなり10年選手と同じ仕事をしようと思っても無理というもんだよ」と、笑って励ましてくれました。 その時、「10年選手」と言う言葉が、私にとっては強く印象に残りました。 10年後は一体どうなっているのだろう・・・と、どこか遠い未来のように、漠然とその時の自分を想像したものです。
今日から、その10年目に入りました。 竹細工を始める前は紆余曲折があり、こうやって自然に続いている自分を不思議に思います。 独立して約二年後、このHPを立ち上げました。 HPは、自分の籠作りの表現の一つの場ではあるものの、一方で自己満足にしか過ぎないことを理解しています。 しかし、こうやってWeb上で私の仕事のことについて書き、そして気持ちを新たに奮い立たせている自分もいます。 私が惹かれる原点は、カゴ自体というより、カゴを編まれてきた職人さん達です。 彼らのことを思うとき、私はどこか心の奥底が揺り動かされ、嬉しさと切なさに居ても立ってもいられない感じになります。 私は先月下旬の新月前で、今年の竹切りをお終いとしました。 今シーズンは、いつもより多めに切りました。 竹に没頭し、より多くのカゴを編み、この一年、10年選手になっていく自分を見ていきたいと思います。